メルロ=ポンティ・サークル大会シンポジウム

メルロ=ポンティとオートポイエーシス

(2003.9.20 早稲田大学)

河本英夫「活動する身体とオートポイエーシス」

Active body and/or Autopoiesis

身体は、現象学的には知覚にとっての超越論的媒体性のひとつであるが、この媒体性そのものが行為するものであり、行動するものであり、作動するものである。超越論的条件そのものが、一種の活動であるとき、事象-根拠関係は、基礎づけとは異なる別様な解明の回路を要請する。メルロ・ポンティも、こうした回路に踏み込んでおり、その萌しを「動物性」の議論や、遺稿『見えるものと見えないもの』に見出すことができる。これらの議論とオートポイエーシスとの関連を探りながら、活動の現象学の可能性を考察する。

 

野家伸也「現象学の自然化」とメルロ=ポンティ

The "naturalization" of Phenomenology and Merleau-Ponty

現象学とオートポイエーシス理論の間には相補的な関係がある。認知科学から出発してオートポイエーシス理論を構想したヴァレラが述べたように、「生きられた経験」についての現象学的な記述と、その自然的生物学的基底についての認知科学的な記述は、相互制約を通じて互いに関連しあっている。このことから、現象学と経験科学の知見を統合する可能性が拓かれてくる。これが第一の意味における「現象学の自然化」であり、『知覚の現象学』におけるメルロ=ポンティの知覚理論は、そのよき範例となる。「現象学の自然化」の第二の意味は、超越論的なものの「脱主観化」である。オートポイエーシス・システムとしての意識は、そこにおいて世界が現れてくる場として機能している。これを自我的な「超越論的主観性」としてではなく、さまざまな意味が生成し自己構成していく場、すなわち「超越論的媒体性」としてとらえることは、メルロ=ポンティの晩年の思惟と重なり合う。そこに見られる自己組織化、構造的カップリングなどの独特な世界構成の機能は受動的綜合の機能と対応している。

 

檜垣立哉「ドゥルーズ・システム論とメルロ=ポンティ」

Deleuze et Merleau-Ponty, L'ontologie du virtuel et la philosophie de la nature

ドゥルーズの主著『差異と反復』で示されているものは、生の哲学の行く先に展開される潜在性のシステム論である。それは差異・異質性・多様性ということばを用いながら、潜在的な連続性としての実在を形成する生の存在論を軸に、分化によって提示される生命システムの機制(ひろく言語・社会・政治システムを遠望する)を、進化や個体の議論を射程にいれながら描いている。こうした生の哲学にもとづくドゥルーズのシステム論と、意識の哲学から自然の力の解放に向かったメルロ=ポンティ後期の思考との絡みあいはどのように描けるだろうか。自然の位相や見えないものの所在を巡りつつ、二つのラインの差異をみきわめながら、生命の思想の現場で折り重なる部分を多くもつことの意味を考えたい。



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