Merleau - Ponty Circle of JAPAN メルロ=ポンティ・サークル

研究大会Annual Meeting

2021年8月7日

第27回研究大会プログラム(オンライン)

第27回研究大会(2021年9月18日(土)、9月19日(日)開催)のプログラム、およびシンポジウム「メルロ=ポンティと人類学」のレジュメはこちらです。今年も両日ともにオンラインでの大会となります。登録制です。リンク先から登録をお願いいたします(大会当日まで受け付けております)。

 

第一日目
日時 2021年9月18日(土)
会場 Zoom

12:45 開会の挨拶・オンライン会議の進め方

個人発表

13:00-13:45  猪股無限(筑波大学)   司会 本郷均(サブ司会村瀬鋼)
メルロ=ポンティにおける「想像的なもの」の「歴史性」

13:45-14:30  橋爪恵子(東京大学)   司会 村瀬鋼(サブ司会本郷均)
G・バシュラールとメルロ=ポンティ―反響と共鳴概念を媒介としてー

休憩

14:45-15:30  吉松覚(日本学術振興会特別研究員RPD・立命館大学) 司会 廣瀬浩司(サブ司会屋良朝彦)
可傷的なものと可塑性──カトリーヌ・マラブーのメルロ=ポンティ読解について

15:30-16:15  三笠雅也(京都大学)   司会 屋良朝彦(サブ司会中澤瞳)
「愛着の問題」群について

16:15-17:00  渡辺亮(名古屋大学)   司会 中澤瞳(サブ司会廣瀬浩司)
他者知覚に於ける、世界内存在の個体性の成立

*「サブ司会」とは、司会者の通信などに不備があったときの代理の司会です。

 

第二日目
日時 2021年9月19日(日)
会場 Zoom

個人発表

12:00-12:45  柳瀬大樹(東京大学)   司会 家高洋(サブ司会加國尚志)
「知覚的信憑」とは何か

12:45-13:30  三宅萌(大阪大学)   司会 加國尚志(サブ司会伊藤泰雄)
後期メルロ=ポンティにおける「前⾔語」の⾝分について

休憩

13:40-14:25  横田仁(都立大学)   司会 伊藤泰雄(サブ司会加國尚志)
動機づけの反省――メルロ=ポンティにおける徳

14:30-14:50 ビジネスミーティング

 

 

シンポジウム
メルロ=ポンティと人類学

 司会 廣瀬浩司(サブ司会山下尚一)

15:00-15:30  小林徹(龍谷大学)
野生を取り戻す――メルロ=ポンティと現代人類学

15:30-16:00  古川不可知(九州大学)
ヒマラヤの山道と歩く身体の人類学――ティム・インゴルドによるメルロ=ポンティ理解を手掛かりに

休憩

16:15-16:45  山下尚一(駿河台大学)
自然のリズムと文化のリズム――メルロ=ポンティ「モースからレヴィ=ストロースへ」から出発して

16:45-18:00 全体討論

閉会の挨拶

シンポジウム「メルロ=ポンティと人類学」レジュメ

(趣旨)
本シンポジウムの目的は、メルロ=ポンティの思想と人類学的な見方と突き合わせることによって、哲学の領域にとどまらない現象学的思考の可能性を考え直すと同時に、現代人類学に対するひとつの視座を提示することである。
メルロ=ポンティは、「モースからレヴィ=ストロースへ」という文章を執筆している。これは人類学の作業がもつ哲学的意義を論じたものであり、自己と他者、自然と文化といった問題をあつかっているところに大きな特徴がある。
メルロ=ポンティの現象学は、現代の人類学にもさまざまな仕方でつながっていく。たとえばティム・インゴルドは『知覚の現象学』や『眼と精神』をよく引用し、ギブソンの生態学的理論に結びつけながら、みずからの思考を組み立てる。その一方でフィリップ・デスコラは、メルロ=ポンティの思想を直接参照することはそれほど多くないとはいえ、『自然』講義ノートなどから大きな着想をえて、自然と文化の関係という問題を論じる。
本シンポジウムでは、メルロ=ポンティ・サークル会員からは、デスコラの著書を翻訳している小林徹氏が登壇する。小林氏は、メルロ=ポンティとレヴィ=ストロース以降の哲学と人類学の展開を論じる予定である。また、ゲストスピーカーとして、ヒマラヤをフィールドとする文化人類学者であり、インゴルドの翻訳にもたずさわっている古川不可知氏をお招きする。シェルパにかんする人類学の著書を公刊された古川氏には、インゴルドの思想をもとに、身体と環境の相互のかかわり合いのなかで、道を歩くということについて論じていただく。また、サークル会員から山下が登壇し、「モースからレヴィ=ストロースへ」を出発点として、リズムという語について論じる予定である。
(山下尚一)

野生を取り戻す――メルロ=ポンティと現代人類学
小林徹

晩年のモーリス・メルロ=ポンティは、デカルト以来の近代的存在論を批判し、哲学的問いかけの場を再設定すること、すなわち主体と客体の二元性に回収される前の「野生の領域」を取り戻すことを目指していた。それは、近代性に汚染される前の純粋な世界を回復することではない。メルロ=ポンティは、デカルト哲学の内部に「自然についての第二の哲学」を見出し、いわば近代的言説の内部で別の存在論を語らせようとしている。ここには二つの方向性が書き込まれている。まず、クロード・レヴィ=ストロースの傍らで「側面的普遍」としての構造概念を提示し、記号体系の構造分析を、身体を媒介として側面的に関与し合う主体間に生まれる意味の理論によって裏打ちすること。この方向性は、構造人類学を批判的に継承し、主体の同定様式に立脚する独自の図式論によってその刷新を図ったフィリップ・デスコラの思想のうちに見出すことができる。次に、近代的言説の内部に間接的な仕方で現れている「野生の領域」を、見るものと見えるものが交叉する「見えない骨組み」として描き出すこと。存在論的言説の刷新を目指すこの方向性は、デスコラの構造主義的企図をも批判し、「大気」という媒質に関する独自の存在論を展開するティム・インゴルドの思想によって推し進められている。本発表は、このように現代人類学が切り開いた観点からメルロ=ポンティの思想の今日的意義について再考するものである。

ヒマラヤの山道と歩く身体の人類学――ティム・インゴルドによるメルロ=ポンティ理解を手掛かりに
古川不可知

モーリス・メルロ=ポンティは人類学の良き理解者であるとともに、その思想は現象学的人類学として括られる一連の研究において広く受容されてきた。加えて近年は、「存在論的転回」と呼ばれる潮流の一部にもその影響を見出すことができる。とりわけティム・インゴルドは、メルロ=ポンティをひとつの重要な参照点としながら、単一の自然と複数の文化という図式の解体を推し進めてきた。本発表の目的は、①インゴルドの議論をメルロ=ポンティとの関わりに焦点を当てつつ概観し、②発表者が調査をおこなってきたシェルパの人々が、ヒマラヤの高山地帯をどのように移動してゆくのかについて考察することである。
インゴルドは天候-世界という概念を提示しながら、人間のあり方を媒質の流れに浸された有機体-人格として捉え直そうと試みてきた。さらに他者理解に際しては、世界の内でパースペクティブを共有し、歩行のリズムを一致させて同じ向きに進むことが重要だと主張している。本発表ではこうした議論を参照しつつ、絶えず変転する高山の環境下においてそのつど道を見出し、登山客や家畜と歩調を合わせながら歩いてゆくシェルパの人々の姿を描出する。このことはまた、ときに抽象的な思弁として理解されがちな現代人類学の議論の一端を、ヒマラヤに生きる人々の具体的な民族誌的事実へと差し戻しつつ提示する試みでもある。

自然のリズムと文化のリズム――メルロ=ポンティ「モースからレヴィ=ストロースへ」から出発して
山下尚一

本発表の目的は、現象学と人類学が交差するひとつの可能的な領野として、リズムの概念を提示することにある。本発表は、まず、メルロ=ポンティが現象学的立場から人類学を論じている「モースからレヴィ=ストロースへ」に注目し、現地人の語る神話を理解するさい重要なのは、その内容だけではなくそのリズムや繰り返しを聞くことだという主張を確認する。その後、ピエール・ソヴァネのリズム論を読むことで、レヴィ=ストロースを出発点として自然の(動物的)リズムと文化の(人間的)リズムを区別しようとする議論があることをたしかめる。本発表は、自然のリズムと文化のリズムを区別するのではなく、むしろ、自然と文化が同じように発生するようなひとつの領野として、リズムというものを考えようとする。それにあたり、メルロ=ポンティの『自然』講義ノートを参照しながら、動物の行動のスタイルにはすでに文化のはじまりが見られるということを考える。本発表はとくに、リズミカルな繰り返しということに着目することで、リズムとは、どこがはじまりなのかわからずに、先取りと取り上げ直しの運動として繰り返されるなかで、そこにひとつのスタイルができてくるための場なのではないかという仮説を提示してみたい。

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