Merleau - Ponty Circle of JAPAN メルロ=ポンティ・サークル

学会誌:メルロ=ポンティ研究Étude

第27巻(2023.9)


印部 仁博
メルロ゠ポンティにおける生きられた物の充実と実在性について

小林 徹
象徴における野生
メルロ゠ポンティとレヴィ゠ストロース

佐野 泰之
意識の沈黙と言語のざわめき
パラン、サルトル、メルロ゠ポンティ

常深 新平
メルロ゠ポンティによって改訂されたヘーゲル主義
コジェーヴに抗うメルロ゠ポンティとベンヤミン

野々村 伊純
世界に対する関係としての言語について
失語症研究に関するメルロ゠ポンティの考察を通じて

川瀬 雅也
自己と時間
メルロ゠ポンティとアンリ

村瀬 鋼
身体の二つの現象学
メルロ゠ポンティとアンリ

本郷 均
芸術をめぐって

第26巻(2022.9).


猪股 無限
メルロ゠ポンティにおける「想像的なもの」の「歴史性」

三宅 萌
後期メルロ゠ポンティにおける「沈黙」の位相
『見えるものと見えないもの』における「前言語」に着目して

横田 仁
動機の表明
メルロ゠ポンティにおける哲学者の徳

吉松 覚
可傷的なものと可塑性
カトリーヌ・マラブーのメルロ゠ポンティ読解について

山下 尚一
シンポジウム「メルロ゠ポンティと人類学」のイントロダクション

小林 徹
野生を取り戻す
メルロ゠ポンティと現代人類学

古川 不可知
ヒマラヤの山道と歩く身体の人類学
ティム・インゴルドによるメルロ゠ポンティ理解を手掛かりに

山下 尚一
自然のリズムと文化のリズム
メルロ゠ポンティ「モースからレヴィ゠ストロースへ」から出発して

田村 正資
知覚は知識をどのように根拠付けているのか
ピーター・アンティッヒ『動機付けと知覚の優位性』書評

常深 新平
メルロ゠ポンティの美学がもつ奥行き
川瀬智之『メルロ゠ポンティの美学――芸術と同時性』書評

第25号(2021.11).


田村 正資
対面と共存
メルロ゠ポンティにおける実存的な空間性

常深 新平
メルロ゠ポンティにおける絵画の歴史性

橋爪 恵子
メルロ゠ポンティにおける文学の位置づけ

山本 りりこ
ジュール・ラニョーにおける奥行知覚
メルロ゠ポンティによる批判の再検討

酒井 麻依子
「人間の科学」とメルロ゠ポンティの哲学

奥井 遼
わざの習得とコミュニケーション
フランス現代サーカスの稽古現場より

山口 真美
恒常性のない世界に住む乳児

田村 正資
ひとは自らの習慣に責任を負っているのか
ヘレン・ンゴ『人種差別の習慣』書評

野々村 伊純
メルロ゠ポンティの形而上学
佐野泰之著『身体の黒魔術、言語の白魔術』

横田 仁
いま、『知覚の現象学』の締めくくりを捉え直す
Glen A. Mazis, “An Ethics of Flesh -Saint-Exupéry, Merleau-Ponty, and Felt Solidarity-”

第24号(2020.11)


田村正資
メルロ=ポンティのグールヴィッチ批判――知覚対象の同一性と実在性の意識をめぐって

山本りりこ
ジュール・ラニョー「知覚についての講義」における聴覚の位置付けとその機能

柴田登紀子
気功の現象学――ゆるみと解放の実践より――

川崎唯史
メルロ=ポンティの倫理学とボーヴォワール

酒井麻依子
『第二の性』を読むメルロ=ポンティ

杉藤雅子
メルロ=ポンティとボーヴォワールにおける身体とセクシュアリティ

グイド・クジナート
「愛の秩序」の精神病理学と「あいだ」の精神病理学--マックス・シェーラーの現象学的パースペクティヴから   (訳:久冨峻介、横山陸、前書:加國尚志)

第23号(2019.11)


柿沼美穂
人間における言語とmovementの関係-ダンスの指導事例の比較検討とその考察

三笠雅也
投影同一視はどのような現象なのか?-BPDをメルロ=ポンティの〈身体論〉から考察する

佐野泰之
「言語の文学的用法の研究」の射程-メルロ=ポンティのヴァレリー読解とスタンダール読解が示すもの

森本淳生
『若きパルク』とメルロ=ポンティのヴァレリー講義

片岡大右
「人間であるとはひとつの党派である」とはどういうことか?-メルロ=ポンティのスタンダール論を読むために

第22号(2019.2)


猪股無限
運動知覚のシンボリズム―1952年-1953年度講義「感覚的世界と表現の世界」を中心として

ダリシエ, ミシェル
「詰まった意識」と「べとついた意識-『知覚の現象学』第二部における意識の問題

村瀬鋼
「自分が身体であるというこの唯一の事実から我々が自分の身体について持つこの特異な知」-手袋のなかの手について

國領佳樹
メルロ=ポンティの実在論的現象学-グールヴィッチとの隔たり

横山陸
生態学的現象学の源泉としてのマッハ、ゲシュタルト心理学、シェーラー―メルロ=ポンティとシェーラーの比較研究に向けて

第21号(2017.9)


竹谷美佐子
舞踊の稽古における間身体性の考察 ー 身体の同調・同期をつうじた技法の獲得

酒井麻衣子
メルロ=ポンティとG・ゲクス ー ソルボンヌ講義における「遺棄神経症」解釈

澤田哲生
メルロ=ポンティとワロン ー 超-事物をめぐって

河野哲也
知覚の扉は開き、一切の欲は解消したか

檜垣立哉
欲動について ー ドゥルーズの〈欲動イマージュ〉を手がかりに

福田肇
ナルシシズムとリビドー的身体 ー Narcissisme et corps libidinal

DALISSIER, Michel
Le désir de Merleau-Ponty

第20号(2016.9)


川崎唯史
英雄と逃走 ー メルロ=ポンティにおける二つの自由

小手川正二郎
「女性的な」身体と「男性的な」身体 ー メルロ=ポンティとレヴィナスからフェミニスト現象学を再考する

伊藤泰雄
メルロ=ポンティと十七世紀 ー メルロ=ポンティ・サークル大会 シンポジウム 要旨

合田正人
スピノザ主義の深淵を前にして ー メルロ=ポンティの「スピノザ」

山口一郎
メルロ=ポンティの「肉」とフッサールの「受動的綜合」

第19号(2015.9)


酒井麻依子
現れる他者・消える他者 - ソルボンヌ講義「他者経験」をめぐって

佐野泰之
メルロ=ポンティにおける〈語られた言葉〉の問題

小倉拓也
担われなければならない肉 - 故メルロ=ポンティへの老ドゥルーズの最後の一瞥をめぐって

赤阪 辰太郎
サルトルを読むメルロ=ポンティ - 『文学とは何か』をめぐって

西岡けいこ
「絵画の媒体性」と「まなざしの歴史性」 - 『眼と精神』の構造

合田正人
「肉」と「器官なき身体」

澤田哲生
ほつれと浸食 - 後期メルロ=ポンティの思索のはじまりと展開について

加賀野井 秀一
ゲシュタルト概念の変遷から見るメルロ=ポンティ研究の流れ - 知覚・時空間・言語・記号・肉

第18号(2014.9)


小嶋洋介
鏡の丸い眼 - 『眼と精神』に呈示される〈鏡〉の存在論的パースペクティヴ

山倉裕介
領野は超越論的か

竹谷美佐子
踊における運動生成の考察 - 知覚の現象学を手がかりとして

川崎唯史
社会的な生の悲劇 - メルロ=ポンティにおける社会性の問

河合翔
「障害と身体の現象学」という可能性 - 当事者が語る脳性まひの身体論

廣瀬浩司
次元の開けとしての制度化 - メルロ=ポンティの歴史論

野間俊一
外傷と解離における受動性について

加國尚志
メルロ=ポンティとフロイト - 一九五四‐一九五五年講義「受動性」を中心に

亀井大輔
デリダとメルロ=ポンティにおける制度(化)の問題

Luca VANZAGO
Passivity and Time – On Merleau-Ponty’s Lectures on Passivity

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